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フルマラソンは自己表現の場と考える

メンタルコントロール

 

今までの私のイメージは…

 

3ヶ月~半年かけて走り込み、徐々に負荷を上げながら
自己ベスト更新を狙える体を作り上げて、
本命レースで自分の限界にチャレンジ(挑戦)する。

 

でした。

 

初のフルマラソンの時は
マラソンの知識もあまりなく、
とにかく集めた情報を元に30km走をして、
レースでは

 

きつくなっても絶対に歩かない!

 

これだけを心に決めて走りました。

 

私の中で故障した訳でもないのに
走るのが辛くなって、心が折れて

 

レースの途中で歩いてゴールしても「完走」にはならない!

 

と思っていたからです。

 

よく、100kmウォークやマラニックなどでゴールした事を
「完歩・完踏」などと言われるように
歩いてもゴール出来る大会は「完走」とは言いません。

 

私の中でフルマラソンは
どんなにペースが落ちて、歩いている様にしか見えなくても
自分の中で

 

諦めずに走っている気持ちが折れなければ「完走」

 

なんです。

 

逆に、
ペースが維持出来なくなり自己ベスト更新の可能性もなくなり、
自ら諦めたレースは「完走」した事にはなりません。

 

と、去年まではそう思っていました。

 

でも、最近ふと思ったんです。

 

この考えって、私の単なる思い込みだったと。

 

 

私の中で

プロスポーツ選手への憧れ

というものがあり、

 

試合には常に全力を尽くす事が格好良い。

 

と言う自分勝手な観念が出来上がっていた事に気付いたんです。

 

だから、仮装ランをする人の気持ちが分からず、
練習出来てない人や職場のノリで
フルマラソンに参加する人の気持ちも
全く理解出来ませんでした。

 

今まではいつも一人練習だったので、
他のランナーの価値観に触れる機会があまり無かったからだと思います。

 

でも地元のランニングクラブに所属して、
色んなレベルのランナーと一緒に練習したり、
飲み会でランニング談義をする中で
フルマラソンへの自分のイメージが書き換わりました。

 

”フルマラソンは自己表現の場である”

 

スタートしてゴールするまでは自分自身を自由に表現して良いんだと。

 

  • 仮装して沿道で応援してくれる人やすれ違うランナーを楽しませて走る人
  • シリアスに自己ベストを狙って走る人
  • 病気を克服してこれからの人生に弾みをつける為に走る人
  • 自分の子供に走る自分を見て何かを感じ取って欲しいと走る人
  • エイドを全部制覇して、スタート前よりゴール後に体重が増えるのを覚悟して走る人
  • ゴール後のキンキンに冷えたビールの為に走る人

 

2000年のシドニー五輪で
女子マラソン金メダルを獲得した高橋尚子選手が
レース後に語った有名な言葉

 

 

「とっても楽しい42.195kmでした!」

 

 

どんなペース、体調、レース展開、服装で走ろうとも、
結局はフルマラソンを楽しめたかどうか。

 

 

これが全てなんじゃないかと。

 

本命のレースに向けて、色んな思いが交錯します。

 

どんなレース走りが出来れば、
あなたにとって楽しい42.195kmになりますか?

 

自分らしい42.195kmを表現出来たら最高ですね☆

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